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風 山 堂

(foussin's diary)

ウイークポイント(2)

 今回の内容は、ごく個人的な内容。読者対象は、冠婚葬祭などでたまに会う親戚…などを想定している。

 実は自分は、人の顔と名前を覚えるのが苦手。しょっちゅう顔を合わせる知人や職場の人間は覚えられる(それでも覚えるまでに時間がかかる)。多少は覚えられるのだから、テレビで観たような『人の顔が認識できない障害者』というわけではないと思う。

 たぶんこれは人見知りな自分の性格に起因した現象だろうと思っている。ソーシャルな場に出るのは昔からあまり好きではなかった。これで困るのは、大勢の知人が参列する冠婚葬祭の場に出る時だ。正直なところ、自分の中で顔と名前が一致している人は、父方、母方を合わせても 15人ぐらいしかいない。それ以外はまさに『未知の人』に等しい。

 冠婚葬祭に出るたびに、自分は親戚の顔と名前が覚えられないバカなおっさんと思われているらしい。そのぐらいは肌で分かる。なので、自分はますます親戚が嫌いになっていき、冠婚葬祭に出ようとする意志は折れていく一方だ。

 だが、原因はほかにもありそうだ。自分が子供のころ、母が実家ではかなり雑な扱いを受けていたという印象だ(子供は母親の感情を敏感にキャッチする)。それで幼少の自分は親戚は怖いところと思うようになった。大人になると『怖い』は『嫌い』に変わった…この感情だけは未だにくすぶり続け、拭い去ることができない。

 若いころは、結婚式にはカメラ持参でたくさん写真を撮ったりしていた。それは後で人の顔と名前を覚えるためだったが、あまりうまくいかなかった。
 結婚式などでは、大勢の人が自分に対して気さくに話しかけてくるが、自分には誰だか分かっていない。とは言っても「誰でしたっけ?」とも聞けないので、適当に話を合わせてきた。しかし…もう限界かも。で、白状することにした。

 自分は人の顔と名前を覚えるのに時間がかかる。そして、たまにしか合わない人の顔はすぐに忘れてしまう。だから、もしも自分と○○さんが会った時、自分は○○さんの顔を覚えていないかもしれないけど、気を悪くしないでください。そして、表面上のお付き合いしかできないことをご了承ください。
 

 さて、自分が社交的な人間でないことは、上記を読めば理解できると思う。が、意外かもしれないが、自分は自身のコミュニケーション能力には自信を持っている。と言ってもそれは『誰とでもすぐに友達になれる』とか『社交的』という意味ではなくて、客観的な文章表現とか、言葉による表現、視覚伝達(ビジュアル・コミュニケーション)、ボディ・ランゲージなどを駆使して相手に意図を的確に伝える能力を指している。
 そのお陰で、嫌いな人間とでも『仕事上の信頼関係は築くことができる』と思えるようになった。自分は基本的には人間が嫌いだが、その人間たちが寄ってたかって作り上げた『社会』というものを割と気に入っている。だから、社会に貢献するために働いてきたつもりだ。

 そして、そのコミュニケーション能力は、自分の非社交的な性格を補うために必然的に磨き上げられたものかもしれない、と思えるようになった。つまり欠点とは、別の長所の裏返しでもあるわけだ。