風 山 堂

(foussin's diary)

分かり易く説明するということ

 自分は、履歴書などで特技などを記載する欄があれば『分かり易く説明すること(対話能力)』と書くことにしている。対話能力には自信がある方なので。が、正義の所在をめぐっての議論に巻き込まれるのは御免こうむりたいタチでして(正義とか言ってる割には醜い争いだし…)。
 

1. 知らないことは説明できない:

 ある事を説明するには、それを自分が理解していることが前提となる。どんなにコミュニケーション能力があっても、自分が知らないことは説明できない。上手に説明するための第一歩は、自分自身がそれを理解することから始まる。
 

 まずは「分からないところがあるので、今は説明できない」と正直に伝えておく。で、傍に知っている人がいるなら、その人に教えてもらう。教えてくれる人がいない場合は、対象をじっくり観察するといい。説明上手の人間というのは、

・対象を理解するための観察力がある。
・対象を理解するために聞き上手である(識者の話をよく聞く)。
・対象を理解するために教わり上手である(識者の話を理解する)。
・識者が何を言わんとしているかを察知する観察力・洞察力がある。

 このように『説明スキル』以前の土台がしっかりしているものだ。
 

2. 知ってるだけでは分かり易い説明はできない:

 何でもは知らないよ。知ってることだけ… (羽川翼)
 

 分かり易い説明とは『相手の疑問に答える』ことであり、相手の期待に応えることである。事象を可能な限り正確に客観的に説明しても、それが相手の疑問に答えていなければ、相手は「分かった」と頷いてはくれない。それは分かり易い説明とは言えない。

 つまり『誰に説明するか』によって、自ずと対応も変わってくる。そのため、相手が何を知りたがっているかを察知する観察力・洞察力も必要となる。それを習得するには、常日頃から人間観察を絶やさないことが大切だ。
 

3. 過度な思い込みは説明を分かりにくくする:

 はっきり言おう、お前達の思い込みに俺を付き合わせるな、迷惑だ
 (貝木泥舟)
 

 自分にとっては、これが一番分かり易かったのだから、
 他の人だって同じはずだ、きっと。。。
 

 過度な思い込みとは、こういうことを指す。人間をよく観察している人ならば、こういう思い込みは絶対にしない。これは悪く言うと『自己と他者の区別がつかない幼児の発想』だ。人の思考回路や行動原理、性格などは、1人の人間が考える以上に多種多様なものだ。

 説明する時の基準として『自分自身』をスケールとして使うのは悪い方法ではないが、スケールが 1つしか無いのでは思い込みの範疇から脱することはできない。他人というものが、自分が考える以上に多種多様な存在であることに気付き、寛容の精神をモノにした時、分かり易い説明は自然と出てくるようになる(と思う)。
 

 ほかにも何か書こうと思っていたのに忘れてしまった。すでに文章がまとめっぽくなってしまったので、ここで終わろう。。。